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2006年8月22日 (火)

Remission

2週間ほど離れている間に、ロンドンはすっかり涼しくなって、すでに夏は終わってしまったようだ。

8月7日、急遽日本に一時帰国した。
先月末から結構忙しくて、8月も引き続き大変だけど、本帰国前の最期のひと踏ん張りかなぁ・・・なんて思っていたのだけれど。

7月の終わりに、ケースを取っていた患者さんが危篤になった。
この女性Yさんは、ステージⅣの癌を患っている。
昨年8月に肝臓に転移が見つかり、現代医療では殆ど治療の術が無くなってしまった。
彼女は、殆どあらゆる病院で治療を拒否された、いわゆる「がん難民」である。
唯一、治療を引き受けてくれた開業医による血管新生阻害剤の投与に加えて、今年の1月から、ホメオパシーによる治療を始めた。
原発は乳癌、そして骨、肺、脳、肝臓に転移している。
7月末に、その開業医の先生による治療後、緊急入院。
がん性リンパ管腫を患っており、呼吸困難。人工呼吸器を取り付ける。
この時点で、入院先の医師は「あと1週間持つかどうか」とご家族に告げたそうだ。

Yさんは、私の母の知人の娘さんであり、私も昔から知っている方である。
今回、母から連絡があり、彼女の危篤を知った。
こうなっては、私も何も成す術が無い。ただ祈るばかりだった。
毎朝、PCを立ち上げてメールを開ける度に、「連絡が来ませんように」と思っていた。
8月になってすぐ、とうとう父からメールが来た。
「至急連絡せよ」
とうとう来てしまったのか?・・・と暗い気持ちで電話をかける。
なんと、ひとまず危機を脱したとの事。そして、彼女のご主人に連絡せよとの話。付き添いから戻って自宅にいるからと。

ご主人Mさんと話をすると、依然危険な状態であることは間違いないが、僅かながら回復の兆しが見えているという。
しかし、奇跡的に持ちこたえたとはいえ、現代医療では何も治療法が無く、医師は人工呼吸器による補助以外にはすることがない。
実際、医師は当初、人工呼吸器ではなく気管送管して、モルヒネを打つので、その前に家族と最期の言葉を交わさせてやった方が良いという考えだったようだ。
現代医学の常識上(経験上)、彼女は最終局面にいた。

その場にいた研修医O先生は、彼女が治療を受けていた開業医の息子さんで、今年の春に医師になったばかり。
彼は、医師になったばかりで夢と意欲に溢れ正義感が強かったのだろう。そして天賦の才の後押しもあったに違いない。
Yさんは、まだ意識もしっかりしているし、だめと決まったわけではないから、気管送管ではなく人工呼吸器で様子を見ようと提案した。
ご家族の悲痛な思いも届いたのか、当初医師の告げた1週間以上、Yさんは奇跡的に持ちこたえ、回復の兆しさえ見せ始めた。
ご主人Mさんは、O先生と色々と話をする中で、今までの治療の経緯やホメオパシーの事を話し、レメディが何らか彼女に力を与えているのではないかという結論に達したらしい。もちろん、だったら何でこんな状態になったのかという疑問だってある。しかし論理的な思考を飛び越えてそう信じざるを得ない程、これは奇跡的な出来事らしいのだ。

しかし、回復の兆しを見せていても、現代医療では何も治療法が無い。
ご家族にとっては、回復の兆しがあるのだから、とにかく何らか治療をして欲しい。
出来る事を何でもやって欲しいとの事だった。
私としても、何とかしてあげたいが、そんな状態で果たしてレメディが効くのかも分からない。
何の助けにもならない可能性が高いと言ったが、それでもいいとのお話。そもそも他に誰も何も出来ないのだからと。
そこで私はレメディの処方をその場で告げ、帰国することにした。仮に彼女が助からないとしても、出来る事は何でもやってあげたいというご家族の思いをかなえるためだけにでも、私が日本に帰って何かをする意味があるのだろうと思った。

Yさんとのセッションは3回目までは日本で行ったものの、基本的にロンドン・東京間でやり取りをしている関係上、使用するレメディ以外にも、将来処方する可能性があるものを数種類あらかじめYさんに送ってあった。ロンドンからレメディを送ると、最低でも4日は掛かるから。
進行癌の患者さんのシミリマムを選ぶのは難しく、これまでのレメディがどうだったかは分からない。レメディの効果を評価するのも難しい状態なのである。そんな中、今回処方を決めたレメディは、近い将来処方しても良いのではないかと考えていたものだ。
こんな形で処方することになろうとは・・・。

ある恐れがあった。
レメディを飲んだ直後に、「たまたま」容態が急変して、亡くなるという事態も考えられるのである。また、アグラベーションが万が一起きると、Yさんの状態からして、そのショックで亡くなる可能性もある。
ふぅ~~~これ程色々な意味で厳しい処方があるだろうか?
でもやるしかない。なぜかそういう思い。十字架のようなものを背負うことになろうとも。そして心のどこかで、彼女なら頑張り貫くに違いないという思いも。
翌日になっても、何も連絡はない。
とにかく、レメディを飲んだ途端に亡くなるという事態はなかったようだ。

帰国直前に更に色々と調べて、可能性のあるレメディを考え、空港に向かう途中でAinsworthsに寄って買い込んだ。今のレメディの効果が無くなる時が、そう遠くないうちに来るだろうから。
先生たちとも連絡を取った。緊急事態なので、相談する前にレメディを指示したが、本来は先生に聞いてから行うことである。
彼らは私の処方を支持してくれた。それ以外にも有用なアドヴァイスをいくつも頂いた。
いつもながら、暖かく生徒を見守り指導してくれる彼らには大変感謝している。

成田空港の到着ゲートを出ると、すぐに呼び止められた。
なんと、ご主人のMさんが迎えに来てくれていた。これもビックリだったが、やはり1日でも惜しいという気持ちなのだろう。
そのまま、病院へ向かう。
病院に向かいながら、Mさんが色々と細かく近況を説明してくれた。時折涙声になりながら・・・私は彼のその気持ちが分かるとは言わない。その気持ちは彼だけのものだ。でも、切実な思いは伝わってくる。何だかお腹の中をギューっと掴まれたような感じがした。
私も、とにかくレメディを飲んだ途端に亡くなるという事態が怖かったと話した。彼は、それはもちろん覚悟の上だったと言ってくれた。

病院では、YさんはまだICUに入っていた。
酸素供給率は40%まで下がっていた。危なかった時は、顔も含め全身が浮腫んでいたそうだが、この時は両腕のみだった。両腕のみと言っても、指までパンパンで象の手のようになっていて痛々しかった。
Yさんは、呼吸器をつけていて話せないので、私が質問して、うなずいてもらったり、文字盤を指差したりして答えてもらった。

そのあと、Mさんと、研修医のO先生と少し話をした。
O先生からも現状の説明があったが、何で彼女が持ちこたえられたかは、全くの謎とのことだった。
彼女が、去年の8月に現代医療から見放されてから1年が経った今になっても、彼女ほどの進行癌を患っている人にしては、臓器へのダメージが少ないこと、そして彼女が腫瘍による痛みをあまり訴えておらず、モルヒネを使っていないことも、ちょっと考えられない状態であるという。
そして、これも考えられないことらしいが、Yさんは引き続き少しずつ回復しているという。胸部写真でも、リンパ管の腫脹が減っているとのこと。
私は、O先生とMさんに、ホメオパシーについて簡単に説明し、これまで、Yさんを治すには至らないが、進行を遅らせる効果があったのではないかと考えていると話した。もちろん、血管新生阻害剤の効果も大きかったのだと思うけれど。
O先生も、現在の状態を診るにレメディによる効果はある感じがすると言ってくれて、引き続きレメディを与える方針となり、私はO先生の説明、付き添っているMさんの観察からの感じ、Yさんから聞いたことを考慮し、レメディの服用回数を増やすことにした。

依然として予断を許さない状態ではあるものの、今回、Yさんがここまで回復できたのは、Mさんやご家族の支えはもちろんのことだが、O先生の尽力に寄る所が大きい。
彼がいなかったら、そして彼の父上がYさんの主治医でなかったら、彼女は「1週間しか持たない」と言った医師の言葉通り、助からなかったかもしれない。
危機を脱した後もマスクを着けている彼女は、O先生がやってくれなければ、レメディを飲めない。
そもそもICUや病室でホメオパシーのレメディを医師が認めて飲ませるということは、通常考えられない。ここは「普通の」病院である。もっとも認めているのはO先生だけで、他の医師たちは黙認しているということのようだ。「1週間」と宣告した医師は、廊下でMさんとすれ違うと、目をそらすらしい。
ちなみにO先生の父上は、「ホメオパシーもどんどんやりなさい派」だとか。

その後、2、3日毎に4回Yさんに会いに行ったが(もちろん容態が急変したら駆けつけるという手筈で)、何となく調子が悪そうに見えたのは1回だけで、会う都度、本当に目に見えて良くなっている。
私が訪問した翌日、ICUを出て普通の病室に移動した。
人工呼吸器ではなく、酸素マスクになった(つまり自律呼吸)。
手の浮腫みも右手は無くなり、左手もだいぶ良くなった(この浮腫みも引くことはないだろうと言われていた)。
顔色も良くなり、つやが出てきた感じ。
私がロンドンに戻る4日前から、少しずつ食べられるようになった。食べられるどころか、食欲が出てきたのだという。
そういう姿を見ると、私も救われたような気持ちになる。
同じ癌患者として、彼女の強い意志の力に勇気をもらった。

そう、私にとっても、これからホメオパスとして、また癌患者としても患者さんに向き合い、癌という病気に取り組むという事を考えるという意味において、大変大きな出来事だった。
治癒とは何か?そこに辿り着く道の上に、治療とは何か?がある。そして癒される人はだれか?そんな問いを投げかける。
いつも分かっているようでいて、分かっていないこと・・・

Mさんには、彼女が治るということは無いかもしれないという覚悟はある。これからあと何日、何週間生きられるのかと、今はそういう問題なのかもしれない。もちろん、癌じゃなくたって、人は明日事故か何かで死ぬかもしれないのだけれど。
「彼女に生きて欲しいというのは本当の気持ちだけど、この状態がいつまで続くのかなぁと、途方に暮れる時もあるんですよ。」と、何年もYさんと共に癌に向かい合って来たMさんは言った。
彼も癒されなければならない人の1人である。そして私もだ。

治療という事を考えると、本当に大変なのはこれから。
依然、現代医療では何も治療法が無い。今、彼女を支えているレメディは、癌を消すことはしてくれないかもしれない。
しかし、少なくともレメディの効果を本人もご家族も、私でさえも実感できた。これは大きい進歩だと思う。
何もわざわざこんな危機的な状況で威力を見せなくても、もっと早く出てきてよという気もするが、今回の事態をキッカケに、Yさんの中で何か別のスイッチが入ったような、そんな気もする。
ここ最近、シンクロニシティをやたらに感じる。積もり積もって(そういうものじゃないかもしれないけど)セレンディピティになったら最高だな。

YさんとMさん、ご家族の戦いはまだまだ続くが、今はただ、最初の目標として、Yさんを退院させてあげたい。家に帰らせてあげたい。
1つクリアしたら、また次だ。
希望はあると思う。それを捨てない限り。

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コメント

samさん

慈しみと志を持たれたホメオパスと医師に、
命運を委ねられた患者とその家族。
ひとつの源を見つめる、寄った力を感じました。

申し送れましたが、秋からISHJにお世話になります。
開講直前に伺えたこのお話が、はるかな先の光のように、嬉しい兆しとなりました。

ありがとう。
頑張ってください。

memiさん

こんにちは。
彼女の容態がこの先どうなるのか分かりませんが、今回、どこか目に見えない所で働いている力のようなものを感じました。
奇跡というものはなく、起こるべき事が必然としてあると言う人もいます。
でも目の前でそれを見ると、やはり不思議な感じです。
今はこの流れに乗って、良い方向に向かうことを祈っています。

ISHJに入学されるのですね。
私も何らかの形で、学校に関わる事になると思います。(聴講生かな?)
また近いうちにお会いできるでしょう。
楽しみにしています。

Sam

>「申し送れ」→「申し遅れ」ですね。
 すみません。

 Nickへのメールには、Samさんの導きによりと書かせていただきました。
まあ、すべからく縁によるものと感じております。普段の営みにせよ、治癒にせよ。 

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