Practical Homeopathy in Japan
プラクティカルという体系の中には、更にいくつか流派がありそうだという事は、前の記事で記載した。
結局の所、クラシカルとの最大の違いは、混合レメディ、複数投与のポリファーマシーであるというのが私の見解である。
それ以外の方法論とか手法というのは、クラシカルでも使われているものも多いのだが、困った事に、誰がどういう方法論で取り組んでいるのかについて、クラシカルほど出版物がなく(少なくとも英語圏では)、プラクティカルの方法論を詳しく知るためには、学校に行かなければならないようだ。
クラシカルがダメダメで、プラクティカルの方が有効であるというのであれば、プラクティカルの本で溢れていても良さそうなものなのだが・・・
ポピュラーな本としては、辛うじて、
「A Guide to the Methodologies of Homoeopathy(邦題:ホメオパシー方法論へのガイド)」Ian Watson著 ぐらいであり、あとは、
- 「Mastering Homeopathy」Jon Gamble著
- 「Case Analysis and Prescribing Techniques」Robin Murphy著
- 「Classical Homeopathy Revisited」Jean Cole and Roger Dyson著
あたりしか無いと思う。
(あら、前の記事のタイトルと一緒だ。でもニュアンス違うから・・・(笑))
Eizayagaのレイヤー・メソッドとは?
「Organonにまつわる話し」で述べたように、残念ながら、由井寅子氏がプラクティカルの開祖と言っているFancisco Eizayaga=アイシー・アガー(やっぱりカタカナ名ヘンだよね)は、クラシカルである。
著書「Treatise on Homoeopathic Medicine」を読んでも、彼の方法論上は、ポリファーマシーを支持するような記載はない。
但し、臨床現場で、ポリファーマシーや、主要レメディとそれを補完するもの(Substanceと書いてある)が必要になる場合が多いと述べているので、ポリファーマシーの効果を否定してはいない。
もしかしたら、こういう部分が拡大解釈されているかもしれない。
あるいは、彼の実際のプラクティスは、プラクティカルに近いものであったのであろう。
(しかし、彼の方法論がポリファーマシーを前提にしている様には、本からは読み取れない)
いずれにせよ、彼の方法論は多くのクラシカルにも支持されているので、どちらの流派のものというより、ホメオパシー界では定番的な方法論の1つと言えるだろう。
彼は「レイヤー・メソッド」で有名である。
この方法論では、
人間は根本体質を持って生まれ(Genotype)、マヤズム(Miasm)が蓄積されている。
成長するにつれ、特定の個性と共に、機能的問題を抱えるようになる(Phenotype)、そしてどこかでバランスが崩れると、器質性疾患(問題)を持つ(Local lesion)という前提がある。
それぞれの「層」に1つずつレメディが必要であるが、時折、マヤズムを除く全てが1つのレメディで解決出来るというものである。
このプロセスをもう少し見てみよう。
局所的な病理が認められる場合には、その「部分(localized process or localized lesion)」つまり疾患を先に治癒する。これを1つの層(レイヤー)とみなす訳である。
この際、低いポーテンシー(マザー・ティンクチャーからアボガドロ数より低いポーテンシーまで)を使うが、レメディ(”local” remedy)を選ぶ際は、局所的とは言っても、病名ではなくて、あらゆる症状、モダリティ、付随症状などを考慮してレメディを選ぶ。精神的な特徴は、レメディ選択のために非常に重要である。
要は、この層の全体像に合わせたレメディを選べという事である。
(ポーテンシーについて彼は、こういった場合には、エネルギー(Dynamicな作用)だけでなく、化学的な作用も必要であると説明している)
局所的な疾患層の治療が済んだら、「患者のレメディ」つまり、いわゆるシミリマムにより治療を続ける。
この場合は、高いポーテンシー(アボガドロ数以上)、すなわち「Dynamic」なものとなるだろう。
シミリマムによる治療は、マヤズム治療と併せて行う必要がある。
予防は、治療が治療が済んでから、根本体質レメディによってなされる。
ここでは、シミリマム(SimillimumまたはFundamental remedy)と根本体質レメディ(Constitutional remedy)とは、異なる概念となっている。
Eizayagaによれば、根本体質レメディとは、何も治療せず、ただ病気を予防するものとされている。
シミリマムが、疾患と個人(の全体像)の両方をカバーするとき、シミリマムのみで治療をするという理想的なものとなる(但し、各層によりポーテンシーは異なるだろう)。
または、局所的なプロセスが無い場合、シミリマムのみで治療が出来る。
ナカナカ説得力がある、システマティックな方法論だ。
多くの人に支持されるのが分かるような気がしますね(笑)
これは、Eizayagaの豊富な臨床経験から得られた仮説である。
しかし、やはり全てのケースに対応出来るわけではない。
ある人の状態を観て、上記の様に、キレイに分層化出来る訳ではない(この点は、ハーネマニアンからも指摘されている)。
システマティックであるがゆえに、軽率に利用される可能性もある。
型にはまったやり方を好む人は、何でもかんでも分層化したがるかもしれないが、そこまで簡単なものだろうか?
1つ言えるのは、「疾患層」という概念があるため、コンプレクシストやクリニカルといった流派の人(つまりはプラクティカル)が取り組みやすいだろうという点である。
Eizayagaがプラクティカルの開祖であるという誤解は、この辺りから来ている様な気もする。
予防について、Eizayagaが面白い事を言っているのを忘れてはいけない。
予防は、根本体質レメディによってなされるとする。
根本体質レメディの概念がシミリマムと違うのは、彼独特のアイデアであろうが、一般的な概念として根本体質=シミリマムであるので、
これをまあ、シミリマム≧根本体質と仮定しても、「ベストな予防策は、シミリマムを見つけること(=自然治癒力を強化・維持すること)」であるという、クラシカルの基本的な考え方に一致すると思う。
(これはEizayagaに関する私の解釈である。念のため)
Practical Homeopathy Revisited?
ここからは、プラクティカルとして最も名高い1人である、Ian Watsonの著書による情報をメインに、日本独自のプラクティカル(トラコパシー)とクラシカルの違いについて考えていく。
我々に見えている特長とは何だろうか?
まず、キーワードと思われるものを挙げてみよう。
マヤズム治療
毒出し
好転反応
医原病(予防接種と対症療法否定)
コンビネーション・レメディまたは複数同時投与
ハイ・ポーテンシー
機械の使用
こんなところであろうか?
では、順番に考えていこう。
クドく断っておくけれど、ケチつけるように見えるかもしれないが、あくまで考える機会を持とうという主旨である。
また、批判者=最大の理解者ともなり得ることを念頭に置いてね~(今のところ同意者とは違うが)。
Miasmatic Prescribing, Isopathy & Tautopathy
マヤズムはちょっと説明するのがやっかいだ。
私はマヤズム論者ではないので、マヤズムには疎い・・・なんて言うと、バカにされそうだが、世の中には、マヤズムを重視する人と、マヤズム治療という事をあまり考えない人がいるという事を知って欲しい。
マヤズムは、ご存知の通り、ハーネマンのアイデアから始まった。
これもまた彼の経験から、「こういう事じゃないと、この現象を説明出来ない」ということで、帰納的に導出された仮説である。
ホメオパシーの本でマヤズムについて読むと、「ゲゲッ、あやしい」と思う人もいるかもしれない。
確かに、「汚染」とか「染み」という意味(ギリシア語に由来する)にかこつけて神話的な説明をする人もいる(原罪とか)。
メタファーとしては良いと思うが、懐疑派は眉をひそめたくなるであろう。
まあ、あまりそれらに突っかからずに、要するに、遺伝的(民族的とか広い意味も含めて)、あるいは後天的に獲得されうる、疾病への罹りやすさの傾向・パターンであると考えれば良いだろうと思う。
現代医学的に、遺伝的要素と言っても差し支えない。表現と分類の仕方が違うだけである。
ハーネマンの当時、3つのマヤズムが想定された。
Psora(乾癬または疥癬)、Sycosis(淋病)、Syphilis(梅毒)である。
現在は、上記3つに、Tubercular(Tuberculosis、結核)、Cancer(癌)を加えることが多い。
(人によってはAIDS等も考慮する)
サンカラン(Rajan Sankaran)は、これらに更に加えて合計10のマヤズムを想定しているが、
彼の言うマヤズムとは、レメディを分類するパターンとしての要素なので、ハーネマン由来のマヤズムの概念とは大きく異なる。
従って、サンカラン・システムにおいて、マヤズム治療という概念は無いと言ってよい。
マンジアラボーリ(Massimo Mangialavori)は、サンカランとアプローチは異なるが、やはりマヤズムは全くと言っていいほど考慮しない。
彼らは、マヤズム的パターンがあるとすれば、それはレメディの全体像として取り込まれるべきと考えているのであろう。
(面白いことに、インドのホメオパスは、サンカランとは違って、マヤズム治療に積極的な人が多いそうだ)
マヤズム治療を考える人は、2通りの手法を採る。
1つは、抗マヤズム・レメディ(Anti-miasmatic remdy)と考えられるレメディを使う方法。
もう1つは、該当するマヤズムのノソード(Nosode)を使う方法。
(ホメジャでは、Nosodeをなぜか「ノゾード」とカタカナ表記しているようだが、これはギリシア語読みを採ったのか?何だか不明(ギリシア語の「Nosos=disease」が語源)。レメディ名とか、ホメジャのカタカナ表記には統一感が無い。
どっちでも構わないけど・・・せっかくなら、英語読みっぽく統一したらいいのでは?)
いずれも、詳しく説明する余裕はないのだが、抗マヤズム・レメディを使用するのは、シミリマムを使うのと概ね同義であると考えて構わないだろう。
人によって微妙に異なるだろうが、ここではクラシカルの原則として述べる。
なぜなら、クラシカルのどの流派であろうとも(レイヤーは別として)、シミリマムを選ぶ際の症状の全体像には、マヤズムも含まれるからである。
ハーネマニアンとして名高いLuc De Schepperは、次のように述べている。
「注意深いシミリマムの処方(Constitutional prescribing)を、適切なノソードを与える前に行うことがMUST!である」
(「Achieving and Maintaining the Simillimum」Luc De Schepper著 より)
これは、最初に考えるレメディが抗マヤズム的であることも示唆すると共に、ノソードの使い方に注意を促している。
ノソードの使い方の話題になると、マヤズムだけの話ではなくなるのだが、これは切り離せない部分でもあるので、ノソードの使い方についても併せて述べる。
De Schepperは、潜伏中のマヤズム(Latent miasm)をアクティブにするのは、患者を苦しめる結果となり、好ましくないと述べている。
Watsonも同じ様な事を述べているゾ。
De Schepperはまた、ノソードを不適切に与えると、潜伏中のマヤズムがアクティブになると言う。
そして両者共に、「寝ているマヤズムは、起こすな」と言っているのである。
これはノソードの使い方にも当てはまる。
過去にペニシリン注射を受けた事があるという理由だけで、症状像を考慮せずに、機械的にペニシリンのレメディを投与する様な行為は、真のクラシカル・ホメオパシーではないと、De Schepperは述べる(これはノソードではなく、トートパシーであるが概念的には似ている)。
(「アロパシーを行いながらホメオパシーの話をしている(”Talking homeopathy” whlie “walking allopathy”)」と、彼はPseudo-homeopathには手厳しい)
ノソードは基本的に、介入(Intercurrent)として使われ、次の様な時に使われる。
- 最適と考えられるレメディが効かない時、または症状が継続的に変化する時
- マヤズムにより、シミリマムの働きが阻害された時
- ある特定の病気以来、具合が悪い(NWS = Never well since)
- 症状が不明瞭、あるいは際立った症状が無い
- 複数のレメディ像が現れ、1つのレメディ像にマッチしない
以上の様な場合、適切なノソードの使用により、シミリマムの働きが活性化されたり、シミリマムの像が明確になったりする。
また、上記以外で、急性でも慢性症状でも、ノソードのレメディ像と患者の症状像が合う時は、ノソードをシミリマムとして使える。
これがアイソパシーではなく、ホメオパシーであるという事は、前の記事で述べた。
1と2は、マヤズム治療である。
3と4は、アイソパシーやトートパシーによることもあるが、マヤズム治療的である。この場合、NWSは一種の後天的マヤズムとも解される。
5の場合、プラクティカルなら、ここでコンビネーションを使うというオプションを行使出来る。
しかし、これがノソードを使う必要のある機会であるとするなら、コンビネーションを使うのは適切でないとも言えるだろう。
ここまで整理して明らかなのは、
クラシカルもプラクティカルも(少なくともWatsonによれば)、
通常、マヤズム治療というのは、特にノソードによる場合は、介入的に行われるものであり、シミリマムが常に優先されるということ。
そして、アクティブでないマヤズムは起こすな、ということであった。
ノソードが使われる場合というのは、殆ど同じ様にアイソパシーやトートパシーにも適用出来る。
これらを総括すれば、マヤズム治療、アイソパシー、トートパシーは、
「他の方法で効果が無い時に、補助的に試してみるもの」と言う事が出来るだろう。
これはプラクティカルであるWatsonの言葉である。
引き続き彼の言葉を借りよう。
私の出発点は、どの患者においても、彼らがどのような薬をとっていようとも、また、どのような予防接種を受けていようとも、常にレメディが明確であれば、それを与えるという事である。
(中略)
その人がこれまでに薬物療法でとって来た全てのものを「アンチドート(Antidote)」する必要はない。その殆どが、飲むのを止めれば、長期に影響はしていないであろう。
私の同僚であり友人のRobert Davidsonは、このことに関して、常に覚えておく価値のある黄金律を教えてくれた。それは、「壊れていないなら、直すな!」である。
(Davidsonは、由井寅子氏の師にあたる人だそうである)
Robin Murphyも、ゴースト・イーチオロジー(Ghost etiology)という言葉を使って、De Schepperの上記ペニシリンの例えと同様の注意を促している。
さて、少なくともここまで、クラシカルもオーセンティックなプラクティカル?も、マヤズムとアイソパシー(トートパシー)の概念に根本的な相違はないという事が確認出来たのではないだろうか?
では、日本独自のプラクティカルというトラコパシーはどうなのだろう?
この話題は、「毒出しと好転反応」と一緒に考えなければならない。
それは次回です。
【参考文献】
- 「Hahnemann Revisited」Luc De Schepper著
- 「THE METHOD - Lectures on Pure Classical Homeopathy」Andre Saine著
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コメント
すっごくわかりやすいです!!
次回、早く読みたいです!
また来ます(^O^)/
投稿: 花園 | 2007年6月21日 (木) 17時46分
花園さん
はじめまして。
コメントありがとうございます。
もう少し待ってくださいね。
下書きも、脱線だらけでナカナカ進まんのです(笑)
投稿: Sam | 2007年6月22日 (金) 03時04分