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2009年4月24日 (金)

汝の敵を愛せ

佐藤優さんの「獄中記 (岩波現代文庫 社会 184) 」に面白い記載があった。
あまりにも有名なイエスの言葉、「汝の敵を愛せ」についてである。

佐藤さんによると、神学プロパーの勉強をした人たち以外に、この言葉ほど誤解されてきた言葉はないという。

同書に引用されているのは(引用の引用になってしまうが)、

「敵を愛し、あなた方を憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい」(ルカによる福音書6・27-28)

「あなたがたも聞いているとおり、隣人を愛し、敵を憎めと命じられている。しかし、私は言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイによる福音書5・43-44)

まずこれは、誰でも愛せということではなく、味方と敵をきちんと分けて、敵を愛せという意味で、「敵を愛する」ということは、白旗を揚げ敵に屈服する、あるいはおもねるということとは違うものだという。

憎しみの論理は人の目を曇らせる。敵を憎んでいると、闘いの構造が見えなくなり、従って対応を誤るのだと、佐藤さんは言う。
こういった理解は、神学的にはそれほど稀な解釈ではないそうだが、私にとっては神学的な価値はさておき、読んでいて、これはガンに対する姿勢も同じだなと感じた。

自然療法・代替療法・自助療法のアプローチは、自分に優しく、気持ちよく、心身をいたわって、自分らしく自然に生きようというものである。

そこで必然的に生じてくるアフォリズム(金言・箴言)が、「ガンを愛しなさい」「ガンに愛を送りなさい」「ガンに感謝しなさい」なのである。

ガンは自分で生み出したもの。元は自分の細胞であるから、ぐれてしまったとはいえ、自分の一部である。
だから侵襲的な治療で叩こうとすると、結局、自分も無傷では済まない。
これで永久撲滅ならばまだ救われるのだが、常に再発のリスクは残る。
場合によっては、治療でヘトヘトになって、最悪の場合は治療で死んだのか、ガンで死んだのか分からないようなケースもある。
「ガンは無くなったけれど、患者は死んでしまった」という、例のブラック・ジョークにもならない逸話を作ることになりかねない。

もう少し同書から引用する(またしても引用の引用だが)

「敵を愛することは、報復するのではなく。創造する愛である。善を持って悪に報いる者は、もはや反撥ではなく、何か新しいものをこしらえるのである。敵を愛することは、敵意から本来的に解放されることから生ずる、あの尊厳性を前提とする。敵を愛することは、決して敵に屈服することではない。ましてや敵意を敵に与えることによって、敵意を増幅することを意味しない。もしそうなったら、敵を愛する主体は、もはやそこにないことになる。むしろ問題は、敵意の知性的な克服にほかならない。敵を愛する時、人にもはや「私は、どのようにして敵から身を守り、敵をおどしてやめさせることができるか」とは問わない。むしろ、「私は、どのようにしたら敵から敵性を取り去ることができるか」と問う。敵を愛することによって、私たちは、敵を私たち自身の責任の中に引き込み、そこにまで私たちの責任範囲を広げるのである。それゆえ、敵を愛することは、「心情倫理」とは全く別なものである。それこそ、真の意味の「責任倫理」にほかならない。」
(現代プロティスタンティズムの標準的神学者ユルゲン・モルトマンによる「イエス・キリストの道、メシア的次元におけるキリスト論」212項)

いやー、びっくりするではないか。
ここには、自然療法のガンに対する姿勢だけでなく、ウェラー・ザン・ウェル患者学のエッセンスもちりばめられている。

  • ガンを愛することで、ガンとの敵対関係から解放される。敵意を与えるとは、侵襲的な治療で事態を悪化させること。
  • ガンから身を守ったり、ガンをおどす必要はない(それは自分の一部である)。そうではなくて、どうしたらガンから敵性を取り去ることができるかを考えよ(心身に優しい生き方・治療をせよ)。
  • ガンについて、自分で責任を取れ。

「汝の敵を愛せ」というイエスの言葉は、解釈によってはこんな形でガン患者学に適用出来るものだったのだ。

「私、毎日ガンにありがとうって言うようにしているんです。」
「感謝の気持ちを持って日々過ごすようにしています」
いいって聞いたから日々実践しながらも、「こんなんで、本当に治るんだろうか?」と心の片隅に浮かんでいる人がどれだけいることだろう?
それどころか、「私をこんな目に遭わせた憎きガンに感謝なんか出来ない」という人も多いだろう。

アフォリズムは、解釈・注釈が必要である。簡潔であるがゆえに美しいが、誤解・曲解が生じやすく、運用を間違える可能性がある。
私の解釈が正しいかどうかの判断は他者に委ねるとして、あるアフォリズムをただ真似して唱えているだけではなく、考えるヒント、学びの出発点として利用しなければならないだろう。

「汝のガンを愛し、感謝し、祈りを捧げよ」と聞けば、美しい。
しかし、腑に落ちないところで唱えても、続けるのが難しく、不安も生じる。
心の底から沸きあがる愛、感謝があってこそ、癒しに繋がるのである。

もちろん、愛を送る、ありがとうと言う、祈りを捧げるという行為は、凄くパワフルなので、日々実践することは大切である。
しかし本当に効果を上げる(これが本当はいやらしい発想かもしれないが)ためには、漠然と行うよりは、理性(実行する意志)と本音(潜在意識)のズレを解消した方が良いと思う。

それには様々な機会を見つけて学ぶ必要があるのである。
身近な所や、古典、宗教経典・教典、哲学書などに、たくさんヒントがあるのだと改めて思う。
専門的な解釈なんかどうでもいい。自分が腑に落ちればいいのだから。
私は今回、なんだか腑に落ちちゃったのだ!

この記事は、敵ではないけど、佐藤優さんへの感謝で締めくくらなければなるまい。
ありがとうございます。

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ガンを癒す」カテゴリの記事

コメント

こんにちは! 先日は協会の議事録まとめ御苦労様でした。

いつもながら示唆に富む記事、とても感服いたします。今回もSAHHO関係者にぜひぜひ知っていただきたいので、mixi非公開「SAHHO・SSCの集い」にアップさせていただきます。

みなさんSAMさんにアクセスしているようですtulip
同じ志の癒しの輪が広がるのは嬉いことです。

余談ですが、相変わらずヒリオスレメディ到着に時間がかかっています。10日過ぎてる! れもんのところだけ? 

れもんさん

こんにちは。
ありがとうございます。

Helios、最近ちょっと遅れ気味かもしれませんね・・・

 お久しぶりです。何度アクセスしても更新がないので、かなり多忙だなと思っていましたが、久しぶりに充実した記事が読めて嬉しかったです。
ジル・ボルト テイラー著「奇跡の脳」を読みましたが、右脳優先になると涅槃の境地に入れるという、興味深い話が書いてありました。もっとも、天下のNHK では、リハビリを頑張れば脳は回復し機能もするという方に重点を置いた番組を作っていましたが(笑)。
新しい刺激を与えてくれる書評に期待しています。

夕日のガンマンさん

こんにちは。
コメントありがとうございます。
いつもブログ拝見してますよ!

「奇跡の脳」私も読みました。ナカナカ良かったですね。
脳の言語を司る部分が損傷すると、そこはつまり自我を表象する場であるから、「私=自我」が薄れて世界との一体感が得られるというのは、興味深い話でした。

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