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2013年6月24日 (月)

『奇跡のリンゴ』

映画『奇跡のリンゴ』を鑑賞。
木村さんの本は何冊か読んでおり、ストーリーは知っているが、役者の演技が良くて、結構泣けた。
隣で妻も大洪水。

とてもいい映画だと思うけど、やっぱり、宇宙人との遭遇とか、龍を観たシーンとかは入れないんだねぇ。
そっちも興味あるんだけど・・・。

さて、劇中、「それでも農薬使うしかないんだ」ってな場面があるんだけど、
いつもの悪い癖(?)で、農薬が抗ガン剤って頭の中で変換される。
あながち的外れではないと思うんだ。
古いパラダイムにしばられていると、どうしても既得権維持の思考しか生まれない。
それに、農薬だって、ガンと関係がないわけじゃないから。

主人公の木村さんのような人が、医療業界にもたくさん出てくれることを祈ろう。
もちろん、患者の中からも。
すでに、徐々にだけれど出始めているけどね。

2013年6月20日 (木)

生き残った者は

戦友が旅立った。
あまりにも突然に。

別れは、特にガンの場合、案外そういうものだと知ってはいたけれど。
世間では、ガンは比較的ゆっくりと死に至ると思われているかもしれない。
少なくとも、そのペースは差があっても、直線的に悪化していくように見えるだろう。

だが、実際には、長く続くように見えた下り坂が、あるとき突然、崖になる。
そういう場合が多い。しかも、どこから崖になるかが、なかなか分からない。
だから、とにかく崖に差し掛からないうちに走り出して、
下り坂を駆け上がってしまわなければならないのである。

密かに弟分として、治ったら色々と手伝ってもらおうと、
私が(勝手に、だが)思っていた男も、突然、足元に広がった崖に落ちた。

急に胸より下が動かなくなってしまったと電話を受けて、3日後、彼は旅立っていった。
のどかな日曜日の朝、コーヒーを飲んでいた時に、奥さんから電話で知らされたのだった。
そういうことがあると、頭では分かっていたが、彼がそうなるとは・・・。

ふと手に取った中原中也の詩が、季節も情景も違うけれども、なぜだか胸にしみる。

生きのこるものはづうづうしく、
死にゆくものはその清純さを漂はせ
物云ひたげな瞳を床にさまよはすだけで、
親を離れ、兄弟を離れ、
最初から独りであつたもののやうに死んでいく

さて、今日は良いお天気です。
街の片側は翳り、片側は日射しをうけて、あつたかい
けざやかにもわびしい秋の午後です。

空は昨日までの雨に拭われて、すがすがしく、
それは海の方まで続いてゐることが分ります。

その空をみながら、また街の中をみながら、
歩いてゆく私はもはやこの世のことを考へず、
さりとて死んでいったもののことも考へてはゐないのです。
みたばかりの死に茫然として、
卑怯にも似た感情を抱いて私は歩いてゐたと告白せねばなりません。

(中原中也 『死別の翌日』)

私の仕事は、どうしても別れがつきもの。
ずいぶん慣れたと思ったけど、どうもそうでもなかったようだ。
辛い中にも、そこまで死別に慣れきっていない自分に、どこかで安心していて複雑だが、
「もはやこの世のことを考へず、
さりとて死んでいったもののことも考へてはゐない」
そんな宙ぶらりんの時空に身を置いている自分を感じ、2日間ほどは、何も手につかなかった。

それでもやはり、私は私の人生を精いっぱい生きていく。
彼のような戦友が少しでも多く治る手助けができるように。
彼の分まで生きる、とは言わない。
でも、幸せに生きることが、そしてガンになっても幸せに生きられると伝えることが、
ガンになって生き残った私の責任だと思うから。

卑怯にも似た感情があるとすれば、残された彼の家族に対してなのかもしれない。
病気の相談に乗る立場で、クライアントが亡くなった場合でも、
家族には感謝されることが多い。
けれども、同じような病気で治った私が葬儀に顔を出すというのは、
ご家族も案外複雑な気分になるようで、実際にそういうことを言われたこともある。
それで、ある時からそうした関係の人の葬儀には、相当親しくても行かないことにしている。

だから、今回も行かなかったけど、
深く、深く、祈りを捧げます。
君との出会いに感謝しつつ。

ありがとう。

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