睾丸癌体験記

2007年4月12日 (木)

抗癌剤のミステリー

自分が再発したとして、化学療法を選択するか?

答えは、NO!である。

抗癌剤は、ある特定の癌にしか効果が無い。
抗癌剤で治ることが期待出来る癌は、

  • 急性白血病
  • 悪性リンパ腫
  • 睾丸腫瘍
  • 子宮絨毛腫瘍
  • 小児癌

と言われており、私が癌になった11年前と殆ど変わらない。
(現在、あと1つ2つカウントすることは可能かもしれないが)

「患者よ、がんと闘うな」で抗癌剤を痛烈に批判した、近藤誠先生でさえ、
これらの癌だったら自分でも化学治療を受けても良いと、著書で述べている。

ここで、「治ることが期待出来る」という癌が、たったこれしか無い。
という事に、驚く人もいるだろう。
しかも、少なくとも10年以上状況は変わっていない様に見える。

他の癌は?と言うと、

腫瘍縮小効果がある、または、延命効果がある。
このどちらか、両方、あるいは、どちらも無い、である。

腫瘍縮小効果があれば、治る見込みがあるのではないか?

そう思うのは、アタリマエである。
では、「20%の患者さんで効きます」と言った時、それは何を意味するか?

有効の定義とは、

「腫瘍の面積が約50%以下に縮小し、その効果が4週間以上続くこと」

ということである。

タッタの4週間!

その後、腫瘍が大きくなって、患者さんが亡くなっても「有効」なのだ。

「20%の患者さんに効きます」と医師が言う時、それは、「20%の人が治る」という事を意味しない。
もちろん、これは統計値であるから、中には治った人もいるかもしれない。
そういう治る確率を聞いてみたら、どういう答えが返ってくるのだろう?

私としては、自分が治療を受けるなら治らないと困る(当然)。
一か八か掛けてみる。治るかも?延命できるかも?
しかし、この掛けにはリスクが大きすぎる。

副作用だ。
それと、治るは、「本当に治る」を意味しない。常に、再発の不安が残る。

  • 抗癌剤では、癌は治らない
  • 抗癌剤には、発癌性がある
  • 抗癌剤を使い続けると、癌細胞は耐性を持つ(効かなくなる)

これは、良く知られた事実だそうで、
厚生労働省の担当官も認めているそうだ。

一体、医学の世界というのは、どうなっているんだろう?

21世紀の今頃には、癌は征服されているのではなかったか?
毎年30万人以上が癌で亡くなっているのが、日本の現状だ。

テレビのCMを観ていても、
「いい加減にしろ」と言いたくなるぐらい、癌保険の案内が増えた。
これは、このマーケットの成長を物語っている。

今、癌専門病院が不足しているとか、地方格差が問題となっている。
しかし、本当の問題は別の所にあると思う。

いくら癌専門病院を増やしても、相変わらずの手術・抗癌剤・放射線ばかりでは、
根本的な解決にならないのだ。

収容する病院が増えても、患者の負担は減らないだろう。
抗癌剤治療は、相当な費用負担となる。
治療を続けると、数百万、1千万、あるいはもっと掛かる人も多い。

アメリカでは、マクガバン・レポート、OTAレポートなどがキッカケとなって、
ついに癌の罹患率、死亡率共に減少に転じたという。
これらは、3大療法の有効性の否定、食事療法等の代替療法の有効性を記したものである。

そういう別方向の議論が、日本ではあまり聞こえてこない。
それがとても不思議である・・・

<参考文献>

抗ガン剤で殺される―抗ガン剤の闇を撃つ 船瀬俊介著 花伝社

がん治療総決算 近藤誠著 文藝春秋

間違いだらけの抗ガン剤治療―極少量の抗ガン剤と免疫力で長生きできる。 梅澤充著 ベスト新書

2005年10月 8日 (土)

金玉防衛計画2

【眠れない夜に想うこと】

いよいよ運命のがん研での検査。

泌尿器科の外来に並ぶ。泌尿器科に限らず、外来の待合廊下には患者さんの多いこと多いこと!これみーんな癌の患者さんなのだろうか?と思うと凄いものである。

「あ、なんかオレだけじゃないんだ」という、ちょっとした連帯感のようなものに包まれたけど、同時に、「いや、オレはここにいる人たちとは違うんだ」って自分自身に言い聞かせていた。この廊下に漂う、何とも形容しがたい雰囲気に飲み込まれたくなかったんだ。

1時間半ぐらい待った後、名前を呼ばれ診察室に入る。

見回すと、待合廊下まで声は筒抜けか・・・何だか気恥ずかしい。

I先生(としておく)に「どうなさいましたか?」と聞かれ、単刀直入に切り出す。「睾丸が大きくなっていて、色々と自分でも調べてみたんですけど、癌じゃないかと思うんです」

早速触診が始まる。これまた気恥ずかしい。

一応、私もわずかな期待を込めて、「捻れてしまって腫れているとか、そういう事もありますか?」と聞いてみる。

I先生は「捻れているワケでは無いようですね」と、つれない返事。

次は超音波検査器を使って睾丸を検査。親切な(?)I先生は画像を私に見せながら、「睾丸の中に、ほら、丁度卵の黄身の様に影が映っていますね。よく調べてご存知の様ですので言いますが、癌である可能性が高いです。」拍子抜けするぐらい、あっさり告知された。

私はまだ儚い期待をかける。「良性腫瘍という事はありませんか?」

I先生は正直な人だった。「最終的には、取り出して検査してみないと分かりませんが、私の経験からは、これは悪性腫瘍である可能性が高いです。」不思議とこの時は、あまりショックは受けなかったな。

「睾丸を1つ取ったら、その後生殖機能はどうなりますか?」

I先生もこの手の質問に慣れているらしく、穏やかに答える。つまり、男の考えることは大体同じ(笑)

1つ取っても、残りの1つがあれば大丈夫ですし、ペニスもちゃんと機能します。」

I先生は続ける。「いずれにしろ早い方がいいです。明日入院できますか?すぐ手術します。」

え、そんなに早く?これにはビックリ。「一応、サラリーマンなので2、3日必要なんですけど」自分でも、何で2、3日なのかは今もって不明。結局、3日後に入院という事にして、その日は帰宅。

同日、両親に報告。「やっぱりガンみたい・・・」

父と母のガッカリした様子に、なんだか申し訳ないような気持ちになった。

両親にこういう思いをさせるのは、2度目である。これについては後で、どこかに書こう。

この晩は、なんとか夕食を食べたのだが、翌日から食べ物が喉を通らなくなった。

というより食欲が全く沸かないのだ。そして殆ど眠れない夜。

次の日は、会社で上司や同僚に報告した。

K部長もショックだったようだ。ただ検査に行ったと思った部下が、癌だもの。

同僚に仕事を頼み、社内で仲の良い人達には状況を説明した。ただ表向きは、癌だという事を伏せてもらうようにした。みんながショックを受けるだろうからというのが理由だったが、睾丸の癌ということの気恥ずかしさもあったし、この時は、癌患者という「特別な」扱いをして欲しくなかった。何だか「敗者」みたいな感じで屈辱感みたいなものがあったのだと思う。

今は特に「自分は睾丸癌患者です(でした)」と言うことに、何の気恥ずかしさも、抵抗もない。まあ、とはいえ、初対面の人とか、楽しい席で、いきなり切り出す話題でもないとも思うのだけれど。

思いつく限り、友人たちに報告したが、彼らもショックだったようで、逆に私が「この癌は治癒率の高い癌だから」となだめる(?)様な感じだった。

入院する前夜、夕食を食べながら、といっても殆ど食べていないのだが、自分に言い聞かせるように、両親に「必ず、この家に帰ってくるから」と言ったのを覚えている。

母は「私は、あなたは大丈夫な気がするわ」と気丈に言ってくれた。

父は鋼鉄の様に強い人で、いつもの通り「とにかく、頑張れ」と静かに言った。

その晩は、泣いた。1人泣いた。

「なんでオレだけが?」癌のような病気になった時、こう思う人は多いらしい。

世の中の他の人たちは、人生を楽しんでいるのに、自分はここで死ぬかもしれない!「どうして?」「一体何がいけなかったというのか?」

・・・そうして朝になった。

2005年8月20日 (土)

金玉防衛計画1

【そこに「ある」という恐怖】
ブログとはいえ、自分の癌治療体験を書く機会があるとは思ってもみなかった。
なにせ私の場合、手術のみで抗癌剤も放射線もなし、抜糸後に検査をして合計2週間で退院。実にあっさりしたものである。
とてもじゃないが、書店に並んでいる癌闘病記のようなものになるはずがない。感動は全く無し(笑)
それでもここで書いてみようと思ったのは、8年後の去年になって再発らしき症状に見舞われたからだ。
喉元過ぎれば熱さを忘れるとは良く言ったもので、自分はすっかり治ったと思っていたし、それなりに健康に気をつけて来たという自負があったので、再び睾丸が肥大して硬化したのに気付いた時、「あぁ、まだ終わってなかったんだ」と思い知らされると同時に、手術直後の心境と今の心境が随分変わってきているという事に、改めて気付いたのである。
人間って、やっぱり忘れる動物なんだねぇ。
忘れたついでに、私は当時、日記の類をつける習慣がなかったので、日時や会話における言葉等詳細については、正確でない可能性があることをお断りしておく。

私は1996年7月、29歳の夏に左睾丸癌の診断を受け、東京・大塚にある(当時。現在は有明に移転)癌研究会付属病院、通称・ガン研で手術を受けた。

初めて睾丸の異変に気付いたのは、同じ年の春、テニスをしていた時だった。
当時、テニス・ウェアの下にスパッツをはいてプレーしていたのだが、男性ならお分かりの通り、通常はそういった少々窮屈な服を着ても、特に股間に違和感は感じないものである。ところが何だか睾丸がゴロゴロする・・・「あるっ」という感覚。とはいえ、痛いわけでもないので、あまり気にかけず放っておき、そのままゴロゴロ感も忘れてしまった。
(なんと!今思い起こしてみると、3ヶ月もホッタラカシだったんだなぁ。鈍感。。。)
6月中旬になって、異常な疲労感を伴う風邪の様な症状が続いたため、会社を休み病院で検査を受けたのだが、その時に医師に「そういえば睾丸が少しヘンなんですけど」と言って診てもらった。触診だけでは、よく分からなかったらしく、その医師からは後日検査を受けに来てくれと言われ、確か予約をして帰ったと記憶している。(結局仕事が忙しくて検査には行かなかったのだが)

そして6月下旬のある日、入浴中に何気なく触ってみると「!?」大きくなっている!膨らませすぎた風船の様にパンパンな感じ。なぜこの時に改めて気付いたのか分からないが、それから先は気が気でない。風呂からあがるなり、「家庭の医学」を読んでみる。
「ないっ!」何が無いって、睾丸の病気って、あまり種類が無いのである。本を開く前は、病名がたくさん並んでいて、その中にある急性症状の1つに該当していて、医者に行って薬を飲むか、放っておけば治ってしまう・・・なんていう期待がどこかにある。しかし、睾丸に関しては、簡単に治りそうな病気の選択肢(?)が殆ど無いのである。
「自分が癌かもしれない」という確信のような思いに至った時、この時の無力感といったら、なんて表現したらいいんだろう。私は未だに、表現する方法を知らない。
その日から、殆ど眠れず、食欲もなし。具合が悪くても、食欲がなくなる事は殆どなかったのに・・・でも、アタマだけは異常に冴えていて、と言うよりは、絶望の海の上で、必死にすがりつくものを探そうとしていたのかな?タイタニックみたいに。寝てるヒマがあったら、対策を考える。一晩中、考える。そんな日々だった。

当時、近藤誠さんの「患者よ、がんと戦うな」がベストセラーになっていて、私もこれを読んで、癌治療にたいして疑問を抱くと共に、抗癌剤に対する恐怖も増幅されていた頃だったから、本当にどうすればいいか分からなかったのだが、何と言っても金玉である!癌だとしても、なるべくなら手術も抗癌剤も放射線もやりたくなかったので、まずはどういう治療法があるのか調べてみる事にした。
幸い、会社の近くに八重洲ブックセンターという東京でも有数の大きな書店があったので、仕事の合間を見つけては、立ち読みで関連書を読み漁った。
私は読書家を自負しており、読むのもかなり速い方だと思っていたのだが、こういう時って、我ながらすごい!やたらに読むのが速いし、記憶に残っている。一種の火事場のクソ力なのだろうか?多分、フォトリーディングの極意の1つがここにある。目標を明確にして読むと、必要な単語が目に入りやすくなる。私の場合サバイバル、あまりにも明確。
とにかく睾丸癌・精巣腫瘍、あるいは癌治療法に関する本を立ち読みしまくり(ブックセンターさん、ごめんなさい)、情報を集めた。
私の記憶が確かなら、当時の私の調査結果は、睾丸癌は、
・ 進行が比較的速く、転移しやすい。
・ 睾丸癌になる人は、比較的少数だが、癌としては治癒率は高い(80%以上とか)。
・ 転移があっても抗癌剤が良く効く。近藤誠氏でさえ、睾丸癌であれば化学治療を選択すると言っている。
・ 標準的な治療は、手術で睾丸摘出、転移が認められれば化学治療(抗癌剤)、化学治療後に転移巣を切除。
・ その他の治療法は、睾丸癌に関しては殆ど見当たらない(少なくとも書籍では)。

本当は代替医療を最初に選択したかったのだが、睾丸ガンの治癒に関する記載が見当たらなかったのと、この病気の進行が速いというのは、どの本にも書いてあり、これに対して代替療法は時間がかかるという認識があったため、転移していても抗癌剤による治癒率が例外的に高いという事を考えれば、現代医療というのが自分としては確実な選択だった。
「金玉1コで命が助かるなら」である。
但し、病院によってどの抗癌剤を使うのかが違うという事も書いてあったので、後はどの病院に自分の命を預けるかという問題である。
症例別病院ランキングみたいな本があって、調べてみると、ガン研が1位だった。まあ有名な病院だし、治癒率が高いガンなら、臨床例が多い病院がいいかもしれないというのが私の結論だった。後で考えると、何を根拠にランキングを作成していたのかなぁ?と思うところもあるけど。
ここまで辿り着いてから、ガン研に検査に行ったのが、確か6月26日あたり。癌ではないという、かすかな希望を抱いて・・・

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