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2012年2月16日 (木)

生きる勇気

「10万人に1人しか治らないガンです(ガン以外の病気でもいいけど)」と言われたら、どうするだろう?
人によっては、10万人に1人でなくて、「あなたはガンです」と言われても、同じショックかもしれないね。ガンは治らない病気だと思われているから。

「もうダメだ」と思う?
それとも、「ゼロじゃないなら希望はある」と思う?

よく、半分だけ水が入っているコップが例えに出されるけど、「10万人に、たったの1人」と「ゼロではない」。数字の上では、どちらも「1人」である。
それを「たったの1人しかいない」と絶望するか、「1人でもいるならば」と希望を持つかによって、はじめて「1」という数字、つまり事実に意味が与えられることになる。
「1人」という事実は、ただ厳然とそこにあるだけ。どういう風に解釈しようと事実は変わらない。
けれど、事実をどう解釈するかで、自らの世界は変わるのだ。

もっとも、データなどが間違っていたとか、後で別の理論が取って代わったとかいったことが起きるかもしれないから、事実(とされている事象)の方も変わるかもしれない。
であるならば、尚のこと、目の前の事象をどう解釈するかの方が大切だろう。
治そうとするなら、治したいなら、絶望と諦めの心で臨むよりも、勇気と希望を持って進む方がいい。

言うまでもなく、ガンは命懸け。そこで訪れる場面それぞれにおける解釈が、その先の自分の世界を、人生を、左右することになる。

では、何が解釈をもたらすのか?
それは、いわば魂の叫びだ。心から求めるものは何か、である。
ニーチェによれば、「まさしく事実などは存在せず、ただ解釈のみが存在する」。そして「世界を解釈する主役をなすものは、われわれの欲求である」。

ガンと宣告され、場合によっては10万人に1人しか治らないとか、余命数ヶ月といった場面でこそ、生への欲求が問われるのではなかろうか。

生きているのが、あまりにも当たり前すぎるからなのか、生きることへの自分の真剣さと向かい合うということを、わたしたちは、つい忘れがちである。
人はいつか死ぬ。そのことは頭のどこかで了解しつつも、日常の営みにとらわれることによって他人事として忘れ去っている。ハイデガーは、こうしたいわば死の恐怖からの逃走を『頽落(たいらく)』と言ったのだった。

ところが、ある日突然、ガンと言われた時、死というものが、突然、現実として自分に迫ってくる。
その途方もないショックに打ちひしがれて、大抵の人は「死にたくない」と思う。わたしもガンと分かった当初はそうだった。
だが、「死にたくない」という欲求と、「生きたい」という欲求とは、実は似て非なる欲求である。
怖いからどうにかして、ではなくて、治してどんな人生を送りたいか。恐怖に追い回された逃避と、将来の目的に支えられた勇気とでは、進む方向がまったく違うはず。
死がリアルに感じられるこの場面でこそ、自分がどれだけ生きたいか、再度、自分自身に問うべきではなかろうか。
怖くて当たりまえ。けれど、ここで足踏みとどめて問う心、問う態度こそ、生きる勇気に違いない。

そして、そうして問う人にとって、ガンは天からの愛のメッセージとなるのだろう。

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コメント

-恐怖に追い回された逃避と、将来の目的に支えられた勇気とでは、進む方向がまったく違うはず-
その通りだと思います。ここ数年ずっと治る人と治らない人の違いは何だろうと問い続けてきましたが、その問いの答えを見たような氣がしました。
Thank you!
最近出した自分なりの答えは、潜在意識が変われば変わる、事。
潜在意識を変えるためにいろいろ試してます。
やっぱり根気強く対話すること、ですかね。

K-koさん

こんにちは。
治る人と、治らない人との違い・・・それは、私にとっても積年のテーマです。
潜在意識は、重要な鍵ですね。
根気よく対話すること、まさにその通りだと思います。繰り返し、繰り返し、刷り込むしかないかなと。

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