以前から、一度整理しておきたいと思っていることがある。
今の私の在り様の根幹に関わる部分なのであった。
ここ1年程、私は、ガン患者としての在り様、取り組み方を、たくさんのガン患者さんと接しながら、あくまで患者の視点からアドヴァイスをしている。
一方で、ホメオパスという療法家として、こちらは治療家の視点からサポートをしている。
患者の視点から言っていることは、ガンの患者学研究所で提唱している『ウェラー・ザン・ウェル患者学』である。
ここで詳しく述べることはしないが、原則の一つが、『自助療法』つまりは自助努力である。
自助療法という特定の治療システム(=療法)があるわけではないので、要注意。
簡単に言うと、『自分で出来ることを、自分でやりなさい』ということ。
患者が自立せよ、自律せよと説いているわけだ。
最もシンプルで、効果的、でも着実に実行することは難しい。
まあそれは良いとして、
「自分でやれと言っておきながら、ホメオパシーで手伝いますと言うのは、矛盾しないか?
・・・・という声が聞こえてくる。
誰かにそう言われるかもな・・・は、もちろんのこと、内なる声からのジレンマに悩んだこともあった。
ある種の罪悪感もあり、二者択一を自分の中で迫ったこともある。
あれ、普通はこうやって悩まないのかな・・・?
まあいいや。これは自分の勉強不足による取り越し苦労(?)だったのである。
ホメオパシーについて考え直す、とても良いキッカケでもあった。
人によっては、それはやっぱり問題なんじゃないの?と言うかもしれないけどね。
このジレンマの解消は、ホメオパシーに対する今の私のスタンスを決めることにもなった。
のみならず、良く知っているはずだったハーネマンの教えに回帰することにもなったのである。
まず、自助療法(自助努力)は、ホメオパシーを利用する際にも必要なことである・・・ということは、ハーネマンが言っている。
生活習慣を正して、なお解消しない病気(症状)こそ、治療の対象となるものである。
これは、ホメオパスが常に念頭においておくべき次の原則としても表現される。
「間違った生活習慣による症状は、(ホメオパシーの)治癒の法則には従わない。」
ハーネマンは、「間違ったライフスタイルによる病気は、慢性病ではない。」としている。
こうした症状は、ライフスタイルの改善によって、自然に消えていくものと言っているのだ。
(『Organon§77)
ハーネマンは、治療中の食べ物や生活習慣にとても厳しい。
このことは昔の記事に書いたが、あまり認識されていないように見える。
我がホメ仲間のSAHHOさんは、さすが、このことを最近指摘しておられた。
http://blogs.yahoo.co.jp/setsu_forum_k/43296492.html
もちろんレメディは、正しく選べば、結構生活習慣が悪い人にも作用する。
また、それがキッカケで生活習慣が良くなったりもする。
だから、プラクティスの場では、食事だの生活習慣だのと無理強いはしないのだが、効率的かつ、より確率高く結果を出すには、生活習慣を改善することは望ましい。
かなり多くのケースで、ブレーキとアクセルを同時に踏むことになっている。
ホメオパシーに限らず、多くの補完代替療法の現場で批判的に囁かれるのは、
『○○は全然効かなかった』
というものであろう。
ホメオパシーは完全ではない。完全だと言う方がアヤシイのだけれど。
しかし、臨床現場で「あれー、何で効かない?何も起きない?」という場面に出くわす時、生活習慣は真っ先に考慮されるべきだと思う。
ことさら免責をしようというのではない。
ベストを尽くすとは、どういうことなのか、ということである。
特に、患者さんがガンの場合、失敗は殆どの場合、死を意味する。
生活習慣を正すというのは、実は、心と身体にとって自然な状態にするということ。
それは、自然治癒力(免疫力と言っても良い)を働かせるためである。
ホメオパシーを含めた自然療法というのは、すべて患者さんの自然治癒力を賦活するものなのだ。
患者さんはもちろんのこと、ホメオパスこそ、自然療法というのは、何なのか?ということを問い直さなければならない。
さて、もう一つ、自助療法が大原則の患者学で、最も大切なことは、『自分のガンの原因を探り、生き方を変えること』である。
ハーネマンの言葉が脳裏に蘇って、自助療法とホメオパシーが敵対しないどころか、ホメオパシーにとっても、自助療法が大原則であることを改めて認識したものの、それでもなお、他人に何かをしてもらうというのが、自助療法と矛盾しないかという気持ちが残った。
そこで学んだのが、この生き方を変えるということ。
自分のガンの原因を探り、生き方を変えるためには、現在・過去・未来の自分や自分の人生に徹底的に向かい合わなければならない。
あぁ、これって、ホメオパシーのコンサルテーション(セッション)じゃない
もちろん、独りで考えるのとは違うし、ホメオパシーでは、(自助療法のための)ガンの原因を知りたいわけではない。
けれども、センセーション・メソッドやその他のクラシカルのシステムによるホメオパスの質問に答えるためには、嫌でも自分と向き合うことが要求される。
また、そのプロセスの中で、ガンの原因に行き当たることも多い。
まったくもって商売向きではないが、そのプロセスの中で、患者さんが自分のガンの原因に辿り着いて、自分で取り組んで治ったら、それはそれでいいじゃないか
実は、氣づきというのは、『そういうもの』なのだ。
Dr. Sankaranの言う、「治癒とは、氣づきである」というのは、人間の中にある、非人間的なものに氣づくこと。それは、自己の中にある非自己、つまりは、自分らしくない部分を見つめることなのだと思う。
生き方を変えるという取り組みは、突き詰めると、自分らしく生きる。自分が自分の人生の主人公ということである。
最終的にそこに至るのに、すべて自力で行ける人もいれば、レメディの助けが要る人もいる。
手段は、1つではない、必ずホメオパシーというわけでもない。
・・・ということなのだと氣づいた時、ようやく私のジレンマは解決したのだった。
かつて自分の再発を治した時、
「色々やったから、レメディが良かったのか、他のが良かったのか分からないけど」
と言った私に、Misha Norlandが答えた言葉が、なぜか懐かしく思い出される。
「君が良くなったのだから、いいじゃないか。それが一番だよ。」
そう、ホントに、治し方は百人百様。それが自助療法。
ホメオパシーも、その姿勢の中でより一層活きることになる。
と・に・か・く、みんな治ってください
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